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[No.510] 京都・鞍馬行き  投稿者:   投稿日:2007/10/12(Fri) 01:36
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古くからの友人達と、7日の日曜日に鞍馬へ行った。
京阪電車の特急で、終点の京都「出町柳」駅までは、大阪の中心地から一時間足らずで着く。
始点の「淀屋橋」駅から乗って席を確保してくれた友の横に、「京橋」駅から乗り込んだ。
「おけいはん」と愛称で呼ばれる京阪電車は、特急料金が要らないのと、クッションのあるロマンスシートがいいところだと、乗る度に思う。
映画『パッチギ』の舞台にもなった「出町柳」駅からは、叡電に乗り換えた。

大きなガラス窓に向かって椅子が外を向いて並ぶ観光向けの新車両を見送り、
ローカルな昔ながらの二両編成の車両に揺られてゴトゴトと30分で、終点の「鞍馬」駅に到着した。
駅に降り立つと、辺りを包む冷気が、緑豊かな奥深い山に来たのだと教えてくれる。

レトロな木造の駅舎は意外と天井が高かった。
駅前の駐車場を横切り、観光物産店や食堂が並ぶ道を行くと、目の前に朱色の仁王門が聳え立つ。
石段を上り入山料200円を払って山門をくぐると、観光客をたちまち鞍馬寺の参拝者に変貌させる威厳が、辺りを支配する。
右へ進めばケーブルの山門駅、左には急勾配の山道が続いている。

山を歩きに来た私たちは、勿論左へと進んだ。
運動不足の私の心肺機能はたちまち鼓動を速め、横で喋り続ける友の声も途切れがちになった。
けれど、フィゾンチッドに包まれて、時折そよ吹く風は、汗すら爽やかな気にさせる心地よさだ。

清少納言が『枕草子』の「近うて遠きもの」の中で、「くらまの九十九折(ツヅラオリ)といふ道」と記したというが、確かに、すぐ上にあるはずの本殿金堂が全く見えない道は、実際以上に遠く感じた。

土の道が途切れ、石畳になり、それが急な石の階段になり、登りきると、本殿金堂が迎えてくれた
40年程前に来た時の素朴な風情とはすっかり様変わりで、内心がっかりしたが、口には出さず、金堂の横から登山道へと進んだ。
牛若丸が修行の途中に喉を潤したという「息つぎの水」は、僅かながら今も岩から染み出て、旅人に潤いを与えていることに、悠久の歴史を想う。

鞍馬山上は岩盤が固く、地下に根を張れない杉の木の根が、浮き立ち絡み合う不思議な状景が、あたり一帯に広がっていた。
「見事なアラベスク」と表現される木の根道を歩き、牛若丸が修行したと想像するに難くないロマン漂う大杉権現の奥へ進むと、広場になっていた。
人を避けて、静かな場所で、お弁当を広げた。
おしゃべりに夢中になって、いざ腰を上げると、同じようなグループがいくつも周りに出来て賑わっていた。

天気に恵まれ、鞍馬山上から眺めると、緑広がる山々が見える。
雲が晴れ陽光が一瞬強く差し込むと、重なる山の峰々が、緑の濃淡でくっきりと浮かび上がった。
「ワー、きれい!」と、あちこちで歓声が上がった。
すぐ下には鞍馬の町。
左前方に見える山の向うは八瀬・大原方面になる。
その左後方の山の又向うには比叡山が高く聳えて見えた。

「子供の頃、比叡山に登った時、琵琶湖がすごいきれいに見えたえ…」と、京都の友が、懐かしむように幼い頃の思い出を語った。
人の記憶は、風景と共に生き続ける。
環境保全は、人間性の保持とも深く繋がっているように思う。

人の混雑する貴船方面には行かずに、もと来た山道を下りて、鞍馬温泉へと向かった。
三連休の中日の日曜だけあって、人はやや多いが、それでも湯につかると、体の芯から温まって、とても幸せな気分になった。
露天風呂の横の楓は黄変しつつあり、やがて紅く色付くころには、多くの観光客で賑わうことだろう。

帰路。
暑くもなく寒くもない、実に心地よい夕暮れの出町柳。
コンビニで、缶ビールと少しのつまみを買って、鴨川辺りへ下りた。
加茂川と高野川の合流する三角州では、ミニ野外コンサートをしていた。
川を挟んでそんな光景を見ながら、三人で乾杯!^^v

秋の夕暮れは早く、加茂大橋の欄干の灯りが美しく燈る頃、いつしか陽は落ちていた。
久し振りに会った私たちの話題にきりはないが、闇に促されるように腰を上げた。


今年は暑い日が続き、山を歩くのは4ヶ月振りだった。
積もり積もった話もあって、足より口の方を、実によく動かした。
今日も、ふくらはぎがまだ突っ張っているが、口はなんともない。
普段鍛えているところが、よく分かった山歩きだった。(笑)